理想から生まれる差別
真面目な話行くよ!
人種差別も男女差別も、少なくとも私の生活する範囲ではほとんどない現代日本で、とても気になる差別的行動がある。例えば、「女性必見」という言葉、いかにもすべての女性に関係があり、ほとんどの男性に関係がない、ということを示しているように見える。でも、果たしてその情報を求めているのはすべての女性なのだろうか、そして本当に男性には無縁な話なのだろうか。
「女性必見」が生まれる場面
この言葉を聞くのは、テレビで美容やスイーツについて特集するときが多い。つまり、すべての女性は美容やスイーツに興味があり、というかその情報を知らなければ存在が認められないと言っているようなものだ。では、逆に男性には関係のないことなのだろうか?少なくとも私は甘いものは好きだし、他にも美容に気を使う男性も多いはずだ。
統計から生まれる理想像
では、なぜ女性だけがターゲットになるのか?少なくとも美容用品を求めるのは女性が多い。つまり、情報伝達力・広告効果が高いからだ。統計上、美容やスイーツに興味があるのは女性が多いので、「日本の女性はみんな美容やスイーツに興味がある」ということにしておけば広告しやすいし、そこそこの収益が見込める。それをターゲットに合わせてメディアが取り上げて、宣伝するところまではいいのだが、そこから「日本の女性はみんな美容やスイーツに興味がある」ということが日本人全体に定着してしまう。こうしてマーケットが理想とするターゲットがそのまま存在価値となってしまうのだ。
自己防衛のために生まれた「○○男子」、「○○女子」
こうして生まれてしまった理想像からかけ離れた存在となると、自分がその集団(男性なら男性、女性なら女性、など)に居場所がなくなってしまう。そこで生まれたのが「○○男子」や「○○女子」という言葉だ。この言葉があれば「自分はここにいるよ」というアピールができる、居場所を作りなおすことが出来る。しかし、もちろんその新たに生まれた枠にも入れない人がでてきてしまう。それでもなおメディアは大人数がいる集団をターゲットとし、理想とし、個性を無視してしまうのだ。
言いたいこと
遺伝子的に好みに偏りができてしまうことは仕方ないが、やはり大きな枠でくくりすぎだし、その集団に属せないと排除されてしまうのはよくないことだと思う。ターゲットを絞るのではなく個々人にほしい情報が不愉快なく届けられることを祈る。