「頑張る」の意味から考えるこれからの日本語
都立高校入試を終え、アイダホバーガーを食べてUbuntuを起動して写真アップロードとかやってるazyobuzinです。こんにちは。
ついに出ちゃいましたね、新指導要領!度数分布表!
頑張りたくない
というわけで、昨日・今日と東京都の中学生の間でいつも以上に発されたであろう「頑張れ!」って言葉、その「頑張る」とはどういうことなのかという話でもしようと思います。
さて、「頑張る」という言葉の意味をgoo辞書(デジタル大辞泉)で引いて見たところ
がん‐ば・る〔グワン‐〕【頑張る】
[動ラ五(四)]《「が(我)には(張)る」の音変化、また「眼張る」の意からとも。「頑張る」は当て字》
- 困難にめげないで我慢してやり抜く。「一致団結して―・る」
- 自分の考え・意志をどこまでも通そうとする。我(が)を張る。「―・って自説を譲らない」
- ある場所を占めて動かないでいる。「入り口に警備員が―・っているので入れない」
[可能]がんばれる
という意味だそうです。つまり、「頑張れ」は「我慢しろ」って意味になりますよね?
ところで、類義語に「張り切る」という言葉があります。
はり‐き・る【張(り)切る】
- [動ラ五(四)]
- ゆるみなく十分に張る。ぴんと張る。「―・った糸を指ではじく」「―・った筋肉」
- 元気や気力が満ちあふれる。意気込む。「―・って仕事をする」
- [動ラ下二]「はりきれる」の文語形。
普通「頑張れ」は「気合を入れろ」とか「一生懸命やれ」というニュアンスで使われると思います。でも、どちらかと言えば「張り切って」と言った方が意味的には正しいはずです。
ではなぜこんなことになったのか。それは日本語が言語だからです。
言語は人間が作りだし、人間が都合の良いように進化させ、人間が都合の良いように改変してきました。つまり、今この時 1 秒の間にも日本語は進化しているのかもしれません。そう、「頑張る」の意味が変わってきたように。
この例として他に「感動」が挙げられると思います。
かん‐どう【感動】
[名](スル)ある物事に深い感銘を受けて強く心を動かされること。「深い―を覚える」「名曲に―する」
みなさんはどういうときに「感動した」と言いますか?泣いたとき?24時間テレビを見たとき?
では、本当に感銘は受けましたか?心は動きましたか?今、これから、新しい人生を歩み出そうと思いましたか?
たぶん、ほとんどの人が「Yes」と答え、そのまま忘れていくと思います。つまり実態は「No」です。
つまり
「感動した」と言うことがあまりに簡単になってしまっているのです。ちょっと涙を流した、ちょっと綺麗だった、ただそれだけで「感動した」と言ってしまうのです。
僕はこれが悪い方向へ進んでいるとは思いません。むしろ自然な流れです。「張り切る」と「頑張る」は統合され「頑張る」になり、感情を表す言葉が「やばい」と「感動した」だけになる。これが正しく、自然な日本語です。美しさ?言語は実用性が第一です。
正直、日本語の美しさとか言ってる人がおかしく見えます。申し訳ないですが。美しさは古典として残し、実際に使う言語は意味の統合・変化を繰り替えして、より短く、より抽象的に伝えられれば良いものだと思います。(短くて抽象的なら感想文書くのも簡単だし…。)高速で、わかりやすい、それが言語の目指す道で、これからの進化なのだと思います。思うだけです。学者ではないので詳しいことは知りません。
高度に簡略化・抽象化された言語の運命
余談です。言語は、簡略化されすぎると、今度は複雑になっていくのではないかと思います。あまりに簡略化されると、感情が単調で、文学がつまらなくなりそうです。そして、新たな言葉が生まれていく…。無限にループするのではないかと思います。
というわけで、今回も無い知識でうだうだ書いてるだけでした。PC復活まだかなー。