お金と感謝の必要性と違い
注意:完全に個人的な考えです。すごくめちゃくちゃなことを書いている気がします。
「お金払ったからありがとうなんていらない」というのはおかしいと思う。なぜならそれは、お金の存在している意味を履き違えているからだ。
大事な前提
価値のあるもの ≠ 形のあるもの
形はなくても価値があるものはあるんです!
お金とは何か
お金とは、ひとつの社会制度である。価値のあるものを受け取るには、それに値する価値のあるものを支払わなければならない。
では、一般人は支払うべき価値を正しく判断することができるだろうか。できたら今でも物々交換が行われていただろう。できないから、一律の価値を持ち、相場が決まっている「お金」を用いることで、正しくない(相手と意見が合わない)価値判断をすることなく、スムーズに価値のあるものを受け取ることができるのだ。
その支払われたお金は何になるかというと、また価値があるものを作り出すのに使われる。そうして循環していくのだ。
感謝するだけで取引は成立する
実際、すべてのものはその他の生物など(前の記事より、自然という書き方はしない) から生まれてきて、それを人間が加工することで価値のあるものになる。つまり、原価は 0 なわけだから、それに相応する価値のあるものを支払わなくても、さらに言えば感謝すらなくても成立するのだ。
ただし、必ずあとで問題が生じてくる。なぜならラクをする人と働く人の差ができてしまう。不平等になってしまうのだ。その分、感謝という価値を支払うこともできるが、価値は基本的に一定なため、不平等感はなくならない。
お金と感謝の違い
先に述べたように、感謝の価値は一定なため、お金のように、必要とされている価値に合わせることができない。そもそも感謝は表現しなければ価値にならない。
また、お金と感謝は相手に与えるものが全く違う。
お金は相手が価値のあるものを作り出すのに必要な価値を支払うために使う。
一方感謝は相手のモチベーションを上げるために使う。
つまり、お金と感謝は全く違うものであり、互換性はないのだ。
つまり
価値のあるものを作り出すには、その材料と準備に価値のあるものを必要とする。また、それ以上に高いモチベーションを必要とする。お金と感謝に互換性はないのだから、お金だけで支払うことも不可能だし、感謝だけで支払うにも問題が出てきてしまう。だからどちらも大切で、 「お金払ったからありがとうなんていらない」なんてことはない。
ザンゲのお時間
偉そうに長ったらしく書きましたが、実際お金を払うときに「ありがとう」って言っているわけでないです。うぅ…。いつか!なんとかしたい!